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テンプレートがないことは

よしむらさおり palettes

2021/10/31 14:02

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テンプレートというのは本当に便利なものです。

ランチに行ってメニューを見ると魅力的な料理がたくさん。「あれも食べたいけど、これも食べたいような気もするし」と悩んでしまいます、なんだか食べる前に疲れてしまうくらい。選択にはパワーが必要ですから。
でもそこに『本日のおすすめ』という名のテンプレートがあったなら?
「これを選べば間違いないのだ!」と、疑問を持つことなく料理を注文することが出来るような気がします。

そう、テンプレートというのは選ぶこと・悩むことにパワーを割かないための便利で優しいツールなのです。


先日取材をしてくれた南日本新聞社の有田記者が、今日の朝刊の『編集局日誌』で一緒にお話ししたことをまた記事にして下さいました
「結婚式が嫌いだ。」から始まるその記事には、結婚式の封建的なあり方についてのモヤモヤが書いてありました。友達の幸せそうな姿を祝いながらも、慣習として残る家父長制になんだか居心地の悪さを感じてしまう。「あたしと同じような気持ちで結婚式に参列している人がいたのか!」と取材を受けながら心強く思ったのでした。

挙式のどの場面(宣誓の返事、指輪の交換、結婚証明書のサインなど)を切り取っても、行動は全ては新郎から。披露宴でも挨拶をするのは新郎や新郎の父。家制度はとっくの昔になくなったというのにまるで男性の家に嫁ぐかのように演出される新婦から家族に宛てての涙の手紙。
招待状から始まり、当日に使われるプロフィールや細かな諸々まで、新郎の名前が先に書いてある全ての印刷物たち。

挙げればきりがないこれらの慣習は現代社会においてはほとんど意味のないものなはず。でもこの状況が続いているのは、ある意味これらが『結婚式のテンプレート』になっているからだと思うのです。
テンプレートというのは選ぶこと・悩むことにパワーを割かずに済むためのツール。裏を返せば【選ぶこと・悩むことを奪うツール】。
これが当たり前ですよと提示されてしまえば疑問を持つ暇もありません。

しかしこれが同性カップルの結婚式となったらどうでしょう。
どちらの名前を先に書くのか、どちらが先に指輪をはめるのか、家族への手紙はやめようか二人とも読もうか。
今までなんとなく慣習に任せていたものを、最初から丁寧に決めていく必要があるのです。

たとえ『本日のおすすめ』のようにみんなが深い意味もなく選んだテンプレートだったとしても、結婚式の慣習というそのメニューの裏側には「女性は男性の付属物である」「女性は男性を立てるべきである」「女性と男性は対等ではないのである」そんなメッセージがびっしり書かれています。

今現在、結婚が叶わず生活のあらゆる面で不安を抱えているマイノリティの方々がいらっしゃる中で、その存在をマジョリティの学びとして扱ってはいけないとわかってはいるのですが、同性カップルの結婚の法制化は「結婚する二人はどんな場面においても対等なのである」という当たり前だけど忘れられがちなことを改めて考えさせてくれるきっかけにもなり得るのだと、そんなことを思ってしまうのです。

テンプレートを使わないことによって選択に、決定に、大きなパワーを割くことになるでしょう。衣装や席次表や料理の内容、会場の花、引き出物、決めなければいけないことが山ほどあるのに、当たり前だと思っていたものまで見直さなきゃいけないなんて。
でもそれは「本当の意味での自由」の大切な甘い代償なのではないでしょうか。


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