
効率よくの限界
学校で声楽を勉強していたあたしは、大学生の頃に結婚式の聖歌隊というバイトをしていました。
実際のところは聖歌隊というよりも、新郎新婦やそのご両親に対して挙式のリハーサルを行ったりと、歌以外の仕事の方が多かったことを覚えています。
その当時は疑問に思わなかったのですが、挙式の中にはいくつもおかしな点があったよなと思うのです。
その中でも、今になって一番気になるのは、結婚誓約書への署名について。
結婚誓約書への署名の場面、挙式リハーサル中こうやって説明するようにと言われていました。
「御新郎様はこちらの線の上にフルネームで、御新婦様はこちらの線の上に旧姓のフルネームか下のお名前だけでも構いませんのでサインをお願いします。」
もし新郎の方が姓を変えていたとしたら?
もし事実婚で姓が別々だったら?
夫婦別姓はまだ出来ないし、現状は96%の確率で女性が改姓しているのでこのような言い方になっているのでしょう。そして効率の面から見ても全て同じようにというのが簡単です。
署名の場面だけではありません、色んなところに違和感はありました。でも全ての新郎新婦に対してほぼ同じように説明していたんです。
全ての夫婦にそれぞれの事情があって、みんな同じようにはいかないはずなのに。
物事を効率よく進めたいとき、型にはめてしまうというのが一番都合がいいと思います。
工場の製造ラインが機械に動作を繰り返させて大量の物を作るように。
ちょっと主語が大きくなってしまいますが、現状の日本は教育制度にしろ結婚制度にしろ、その傾向が強いように感じます。
今は全ての人が大量生産の同じ服を着ている状態に近いと思います。
その服が合っている人は違和感を感じずに済むけれど、服が合わない人は生きづらい。
物事を型にはめないやり方というのは、時間もコストもかかります。一つ一つの物事を別物だと認識して、それぞれに対処していかなくてはいけないから。多様性というのはそういった面倒くさいすり合わせの繰り返しです。
でも、そんな風に社会全体がシフトしていかないといけない段階にきているんだと思います。
あたしは大量生産の風が肌に合わないタイプです。
もしオーダーメイドの服を着ることを社会が応援してくれたら、今よりもっと生きやすくなるのに。
一人一人が自分に合った生き方が出来るように。
今配られて着せられている服が合わない人も、本来ならもっと輝ける可能性があるはずだと思うんです。
今朝、選択的夫婦別姓が少し遠のいてしまいそうなニュースを見て、こんなblogを書いてしまいました。